

護符の妖怪たち

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江戸時代後期の肥後国に現れたという。弘化3年4月中旬のこと、毎夜、海中に光る物体が出没していたため、役人が赴いたところ、それが姿を現した。その者は、役人に対して「私は海中に住むアマビエと申す者なり」と名乗り、「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。
画像:弘化3年4月中旬刊行。木版画。京都大学所有、京都大学附属図書館収蔵。
アマビエ
急に有名になって
ビックリしている

幕末頃に最も広まった伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。また、件の絵姿は厄除招福の護符になると言う。
画像:倉橋山の件を描いた天保7年の瓦版
件(くだん)
予言妖怪の代表格

文政2年4月18日、肥前国のある浜辺に、全長2丈の、2本角と人の顔を持つ魚のようなものが現れた。それを目撃した者に向かい「我は龍宮よりの使者・神社姫である。向こう7年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」と語ったという。
画像:『我衣』にある「神社姫」の挿絵
神社姫
人魚じゃないです…

尼彦・あま彦・天彦・天日子・海彦、様々な表記と言い伝えがある。
天保15年、越後国に出現。頭からいきなり3本の足が生えた形状で、人間のような耳をし、目はまるく、口が突出している。その年中に日本人口の7割の死滅を予言し、その像の絵札による救済を忠告している。また、肥後国では、夜ごとに猿の声がするのでその正体を柴田彦左衛門という人物が探っていくと遭遇したという。
「アマビコ」に比べて「アマビエ」の情報が少ないことから、「コ」と「エ」が間違って伝わったという説もある。
画像:尼彦の出現を伝える肉筆画。湯本豪一氏所蔵。
アマビコ
アマビエの方が有名になり
「解せぬ」となっている

古くは中国の『三才図会』にその姿が記され、日本では『和漢三才図会』にも描かれているが、獅子に似た姿である。
白澤の絵は厄よけになると信仰され、日本でも江戸時代には道中のお守りとして身につけたり、病魔よけに枕元においたりした。
医学などの祖とされる中国の伝説上の三皇五帝の一人である黄帝が、東方巡行した折に遭遇したとされる。
画像:鳥山石燕 『今昔百鬼拾遺』の「白澤」