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付喪神がいる日常


家に付喪神がいる。この状況となんてことなく受け入れているが、改めて考えると実に奇妙な光景だ。

最近料理を覚えたらしく、食材を置いておくと、料理になっている。最初は驚くほど不味かったが、最近はなかなか美味い。洗濯や掃除等も楽しそうにやっている。なんとも便利なことだ。

もともと幽霊屋敷等と言われて、好奇心半分に子供たちが庭先に潜り込んでくるのだが、今日は、中島みゆきを歌いながら物干しざおにシーツを干しているでんでん太鼓に遭遇したようで、悲鳴をあげて飛び出して行った。やはり子供たちには視えるのだろう。

回覧板を届けに来るついでに様子をさぐりにくる爺さんは、サイコロと提灯が跳ね回っていようとも、重箱がお茶を運んでこようとも、全く見えていないようだ。知らない間に出現するお茶を「こりゃこりゃどうも」とうまそうに啜っている。

ちなみに化け提灯の赤丸と化け灯籠の焔楽(えんらく)は、名前が欲しいとせがむので、私がつけた。

焔楽は少々ひねったが、赤くて丸いから赤丸とは、短絡すぎたか。まあ、本人が気に入っているので、何も言うまい。



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久し振りに書く。パスワードを忘れて思い出すのに苦労した。 なんでもかんでもパスワード。電子版の面倒なところだ。 いまさらだが、『妖怪』というものの研究はなかなか難しい。 関連する文献は膨大にあるし、日本各地に伝承として残っている妖怪の話は数多あるのに、それを組み合わせて肉付けしていくうちに実体が失われていくような気がする。両手いっぱいに水をすくったつもりが口に運ぶ頃には一滴もなくなってしまっている

妖怪はあれからよく出現するようになった。 妖怪といっても色々と種類はあり、河童や天狗の類ではない。 道具の妖怪で付喪神という。付喪神がなんたるかの説明をここで長々とするつもりはない。今度レポートとしてあげることにする。 彼らがなんで見えるようになったのか、心当たりはひとつある。 確か2月だったか、前の家主が残しただろうものが納戸にまるまる残っていたわけだが、何か使えるものがないかと欲を出し、漁って

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